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昨日の朝、関西で地震がありました。


わが家も揺れは大きく、
パソコン前にいた私は咄嗟に
パソコンをおさえることだけに
集中していましたが、
十数秒の揺れをとても長く感じ
怖かったです。
(実際には数秒だったはず。でもこの時はとっても
とっても長く感じたんです。)



家の中は、床に近いところに
収納しておけば大丈夫だろうと思っていた
フラワーベース類が粉々。
食器も食器棚の中で倒れて
割れたりしていましたが、
扉が開かなかったため散乱は免れました。

大きなスピーカーなど夫のものが倒れて
いたり、夫の大切にしているコレクションの
モノが落ちてしまったり、
子供のおもちゃはカゴごと落ちて
いたりでしたが、
階下の親のところは何も支障はなかったようで
わが家の被害は最小限で済んだように思います。



地震が起きた時、一番に思ったのは
登校途中の娘が怖がってないか、
無事に学校にたどり着けているかということ。

学校の校門には子供が通ると案内がくる
システムになっているので、
学校に到着したことはスマホで確認できましたが、


様子がわからないので心配で
耐震改修がされたとはいえ
古い校舎で大丈夫だろうか、
そんな気持ちでいっぱいでした。


引き取り下校の連絡を待たずに
すぐに迎えに行きましたが、
(わが家は学校から遠いので)


娘は顔をみた途端
「怖かった〜。でも先生が何人かすぐ
飛び出してきてくれて、こっちにこいっ!って。
だから校庭にずっといたし、大丈夫だったよ。」
と笑顔で話してくれました。


こういう時、学校の先生方は
ご自身のことよりも
目の前の子供たちを優先してくれ
安心させてくれて、
有難く、心強い限り。
本当に心から感謝の気持ちで
いっぱいです。



阪神淡路大震災の時と同じように
感じられた今回の揺れ
あの頃は若かったのと、
まだ眠っていた時間だったので、
揺れている間
「こわい」という気持ちが
先に立つことはありませんでしたが、


経験したからこそわかる怖さもある。
経験したことがないから怖いと感じることもある。


道ですれ違った同年代のママ達の中には
お友達と会えて安心したからか顔を覆っている方や
泣きながら学校に向かう方
母親に会えて泣きじゃくる子供も数人見かけ、

当たり前のことですが、
「怖い」と話す知人友人の言葉も
深く感じなければいけないな〜と。

誰かと一緒にいたならば
怖くてもなんとかなりますが、
一人でマンションの最上階にいたら
それは怖いなんてものではないですよね。


改めてつながっているって
大切なことだなと思いました。


いくら想定したところで
その通りになるとは限らない。
備えることは大切だけれど、
どうにもならないこともある。
けれど、こんな時だからこそ
誰かとつながっているって
とても救われます。



また、阪神淡路大震災の時は
西宮から岡本まで、あちこち倒壊し
高速道路が倒れているのを
目の当たりにして、言葉がなかったのですが、


今回は地震の規模は同じではありませんが、
大きな地震を経験したからこその
まわりの大人の落ち着いた対応に
ホッとさせられるものがありました。



ご近所の方々がご自身の安全を確保した後に
高齢の方のお家のインターフォンを鳴らしていたり
電車通学の子供と連絡がとれないと
不安になっているお母さんに
きっと大丈夫と声をかけていたり
不安に押し潰されないのは、
まわりに人がいてくれるから
ではないでしょうか?


そして、モノの備えも大事ですが、
お子さんがいらっしゃるご家庭は
登下校時、どの地点かで地震が起きたら
戻ってくるのか、そのまま登校するのか
下校の時もどうするのか
電車が停止してしまったらどんな
方法で帰ってくることができるのか、
連絡がとれない場合の避難所の位置も
一カ所だけに留めずに
細かく話し合っておくことも
大切かと思います。


最後に、ガラスなどが床に散乱する場合も
あるので、子供用スリッパも必須!と
今回の地震で学びました。
大地震の場合は靴で逃げるから靴さえ
あればいいと思っていましたが、
規模によってはスリッパの方が片付けている間も安心。


引き続き、余震に注意しながら
出来るだけ普段通り生活したいと
思います。


心配してくださった皆様
有難うございます。